狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。                        ルカ13章24節
 
ある人が「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と聞いたのに対して、イエス様が、「狭い戸口から入るように努めないさい」と答えられた箇所です。

イエス・キリストを信じる
「狭い戸口から入るように努めなさい」。イエス様に対する質問に即して言い換えるなら、「救われるように努めなさい」「努力しなさい」ということになります。わたしたちは、恵みにより、その恵みを受け取る信仰によって救われるのではなかったのでしょうか。「救われるための努力」とはいったい何を意味しているのでしょうか。それは第一に、神様の意向に合わせて、イエス・キリストを信じるということです。わたしたちには、自分でやれるという自我があります。その自我をかなぐり捨てて、茶室のにじり口を入るように、頭を下げ、腰を折って、神様の備えて下さっている救いに入る。それが、救われるための努力ということです。

恵みに立ち返る
そして、それは第二に、この神様の救いに、恵みに立ち返り、立ち返り続けるということです。自分はもうイエス・キリストを信じて、洗礼を受けた。だからだいじょうぶと思うなら、それは落とし穴に落ち込んでしまいます(30)。わたしたちは、絶えず絶えず、神様の恵みからそれようそれようとする罪の性質を持っています。だからこそ、週ごとに礼拝に与り、新しく、新しく、神様の恵みを受ける必要があるのです。日ごとに、みことばをいただき、神様の恵みに立ち返る必要があるのです。

みことばに聴き従う
そして第三に、神様の救い、恵みに立ち返るということは、具体的に神様のみことばを喜び、みことばに聴き従うということです。あのザアカイは、イエス様によって救われた喜びにあふれて、「財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」と言いました。みことばに聴き従う、それは、具体的に神と人とを愛し、仕えるということなのです。

(前川隆一牧師)