狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが。入ろうとしても入れない人が多いのだ。 ルカ13章22節
狭い戸口と表題のつけられているところです。
救われる者は少ないのでしょうか
「狭い戸口から入るように努めなさい」このイエス様のおことばがどういう背景から出て来たのかということが、今日の箇所でたいせつなポイントです。23節、「すると、『主よ、救われる者は少ないのでしょうか』と言う人がいた。イエスは一同に言われた」そして、24節に続いているということです。わたしたちも、この質問、あるいは、このような質問をイエス様に向かってすることがあるのではないでしょうか。復活の主とお会いしたペトロは、ふと横を見て、「この人はどうなるのでしょうか」と言いました。
狭い戸口から入るように努めなさい
「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と質問したのに対して、それには直接答えないでおっしゃった、それが、「狭い戸口から入るように努めなさい」という24節のおことばでした。では、イエス様がおっしゃった「狭い戸口」とは、何を意味しているのでしょうか。それは、悔い改めて、身を低くして入る戸口ということです。信じるだけで、罪赦され、神の子とされ、永遠の命を受け継ぐというすばらしい福音のメッセージ。けれども、ただ一つ、この狭い戸口、悔い改めという戸口から入る必要があるということです。
神の恵みから除かれることのないように
では、神様の招きに応答して、救いに入れられた。罪赦され、神の子とされたわたしたちにとって、今日のみことばは、何のかかわりもないのでしょうか。そうではない。クリスチャンとなったわたしたち、神の子とされた、わたしたちもまた、日々、狭い戸口から入る必要がある。そのように教えている。それが、今日の使徒書、ヘブライ人への手紙である、ということです。「神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい」(ヘブライ人への手紙12章15節)
(前川隆一牧師)