民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。 ルカ3章21~22節
イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになった場面です。
聖霊をお受けになった
洗礼者ヨハネから洗礼をお受けになったとき、イエス様は、二つのことを経験されました。それは、第一に、聖霊をお受けになったということでした。「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た」。聖霊の油注ぎをお受けになった、それが、イエス様が聖霊をお受けになったというできごとでした(使徒言行録10章38節)。聖霊の洗礼を授ける者となるために自ら聖霊をお受けになった、それが、イエス様が聖霊をお受けになったというできごとでした(ルカ3章16節)。
父なる神様の御声
もう一つのことは、父なる神様の御声をお受けになったということです。「すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」。この父なる神様の御声は、二つの聖書のことばを下敷きにしています。一つは、詩編2編7節のみことば、もう一つは、イザヤ書42章1節のみことばです。父なる神様は、「愛する子」と呼びかけられた。そして、イエス様に、主のしもべ、受難のしもべとしての使命を託された、それが、この父なる神様の御声でした。
主の洗礼
罪のないお方が罪人であるわたしたちと一つとなって下さったできごと、罪のないお方が罪人であるわたしたちと同一化して下さったできごと、それが、イエス様の洗礼のできごとでした。とすれば、洗礼によってキリストと一つとされたわたしたちもまた、イエス様と同じ経験をすることができるということを意味しています。父なる神様は、キリストにあってわたしたちを「愛する子」と呼んで下さるのです。そして、わたしたち一人一人を、与えられた使命に送り出して下さるのです。そして、その使命を全うすることができるように、聖霊を豊かに与えて下さるということです。
(前川隆一牧師)