自分の十字架を背負ってついて来るものでなければ、だれでも、わたしの弟子ではありえない。 ルカ14章27節
「弟子の条件」と表題のつけられている箇所です。
神を計算に入れる
今日の箇所を通して、イエス様がわたしたちに教えようとしておられるその中心的なことは何なのでしょうか。それは、神を計算に入れるということです。わたしたちは、人生を建て上げて行くために、知恵深くある必要があります。計算する必要があります。けれども、それらのことを超えて、もっとたいせつなこと、それは、神を計算に入れるということです。
神を信頼できないわたしたちの罪
けれども、ここで問題になる、それは、神を計算に入れるというとき、それは、わたしたちの神様に対する信頼を前提としているということです。そして、わたしたちは、いつもいつも、神様に信頼を置いて、神様第一に歩むことができるかと言えば、そうではないということです。むしろ、神様に信頼を置くことをせず、自分の思いに従って、自分の欲に従って、与えられたものを自分勝手に用いようとしてしまう。それが、わたしたちであるということです。
十字架
わたしたちは、自分自身さえ、正しく理解することができない存在なのです。自分の力で自らを治めることも、自分の力で願うことを実行することもできない存在なのです。そして、神様に信頼することができず、神様に対するまちがったイメージをもっている。それが、わたしたちの存在なのです。そのわたしたちのために、キリストがして下さったこと、それが、あの十字架のできごとでした。ですから、わたしたちにとって、神を計算に入れる。それは、すなわち、キリストの十字架に表された神の愛を見上げるということです。また、わたしたちクリスチャン、それは、キリストとともに古い人に死に、キリストとともに新しく生まれた、それがクリスチャンです。そのことを経験した、それが、洗礼のときなのです。新しいわたし、洗礼を通して、イエス様が下さったわたしとして神に信頼する。それが、信仰の歩みなのです。
(前川隆一牧師)