だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪をすなおに捨て去りなさり、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。                         ヤコブ1章21節
 
「神の言葉を聞いて実践する」という表題がつけられている部分です。

聞くのに早く、話すのに遅く、怒るのに遅いように
19節で、「わたしたちの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい」と言われています。いかに賢く生きるかというハウトゥーが、ここで教えられているとも思えます。けれども、「怒り」のコントロールということ、それは、聖書をよく読むと、非常に霊的なことがらであると分かります。

怒りのコントロール
では、わたしたちは、具体的に、どのようにして、この怒りをコントロールすることができるのでしょうか。ただただ、我慢するということでないということははっきりしています。がまんしたとしても、わたしたちはどこかで爆発してしまいます。では、どうすればよいのでしょうか。わたしたちは、いろいろやってみて、でも、最終的に陥ってしまう、それは、あきらめてしまうということです。これが自分だから仕方がない。父も祖父も怒りっぽい人だった。わたしも、元来怒りっぽい性格なのだから仕方がないという風にあきらめてしまうということです。それは、先の「聞くのに早く、話すのに遅く」ということにも当てはまります。

御言葉を受け入れなさい
人間的な現実ということで言えば、そうです。けれども、聖書は、わたしたちに新しい可能性を開いてくれているのです。21節、「だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪をすなおに捨て去りなさり、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます」と言われています。「聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いように」ということ、それは、決してハウトゥーではないのです。みことばの語られるところに身を置き、身を置き続けて行くときに、わたしたちが経験することであるのです。そして、そのことを経験する、それが、礼拝のときであるのです。

(前川隆一牧師)