マタイ 18:1~14
イエス様は4節で自分を低くすることが大切であると説き明かされています。 「自分を低く自ら位置付ける生き方」が大切であると。他者との比較を中心に物事を捉えていくこの世の生き方とは、正反対に位置する生き方であり、常識では考えられない価値観を軸にして生きることです。新しい生き方を得るために、イエス様は「心を入れ替えて…」と示されました。「生き方の方向を転換する」これは真理を信じて信仰の歩みを進めるところから、すでに始まっているのです。
7節でイエス様は「つまずきは避けられない」「つまずきを与える者は不幸である」と言われています。人がつまずくことを前提とされ、つまずかせる側に問題がある。そこに人の潜在的にある罪に対する問いかけがあります。大切なことは「つまずかせる側に属するかもしれない自分に気づく」ということです。主なる神様は「人はつまずく」ことをご存知で、それゆえにその弱さも持つ人とともに歩いて下さっています。その真理により私たちのかたくなな心の扉は開かれていくのです。
10節以下で群れから迷い出た1匹の羊のために99匹を残して必死に荒野を、谷間を探し回り見い出す羊飼い、イエス様の姿が示されています。大切なことは1匹の羊、つまり私たちは神様にとって他に代えることが出来ない、かけがえのない存在であり、私たちは探し出され見い出されるのです。そこにイエス様の決断、決意、そして約束を知ることが出来ます。この約束に、主なる神様の私たちに対する深い愛を、注がれる豊かなまなざしを知ることが出来るのです。
(永田洋長老)