イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。 ルカ9章62節
「サマリア人から歓迎されない」との表題のつけられている部分(51~56)、「弟子の覚悟」と表題のつけられている部分(57~62節)です。
イエス様のこころをこころとする
まず、51~56節までの部分。イエス様を歓迎しようとしないサマリアの人々のことを怒り、「天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言うヤコブとヨハネを戒め、イエス様は別の村を通って行かれました。イエス様は「エルサレムに向かう決意を固められ」ました。でも、それは、ご自身が十字架で死ぬためでした。そのイエス様に従うなら、「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」とイエス様は弟子たちを招かれました。それに対して、このヤコブとヨハネの言動は、苦しみを受けることは避けさせてほしい。栄光のところだけはイエス様と連帯させてほしい、というご都合主義の言動でした。イエス様に服従する。それは、イエス様の心を心として歩むことです。
神の国と神の義を第一とする
後半の部分、「弟子の覚悟」と表題のつけられている部分ですが、非常に厳しい教えが記されています。それは、家の問題、家族の問題という風にまとめることができます。では、これらのイエス様のおことばに対して、わたしたちはどのように向き合うことが求められているのでしょうか。鍵は、これらのイエス様のおことばと逆のことも聖書が語っているということです。一方において、家族を捨てなさいとも受け取れる教え。その一方において、家族をたいせつにし、家族ぐるみで救われないさい、という教え。そのバランスの中で、今日のみことばを聴く必要があるということです。すなわち、わたしたちは、家族をたいせつにするあまり、偶像としてしまう。そのようなわたしたちの性質、罪に対して、それを捨てよ。神を第一とせよとおっしゃるのです。そうするときに、すべてのものが添えて与えられる。そうイエス様は教えて下さっているということです(マタイによる福音書6章33節)。
(前川隆一牧師)