「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ヨハネ3:3
今日の福音書の箇所はニコデモとイエス様との会話がなされている箇所です。
私たちは完全な罪人
ニコデモはイエス様の言われていることを理解することが出来ませんでした。私たちも時として神様の言われていることを理解することができません。どうしてなのでしょうか。それは、私たち人間が罪人だからです。モーセの十戒の第一の戒めは「あなたは、他の神々を持ってはならない」というものです。しかし、私たちはこの戒めを守ることが出来ません。神よりも他のものを優先して、偶像を作り出してしまう者です。聖書において、「罪」という言葉には「的外れ」という意味があります。神を神とせず、自己中心に生きている私たちは、神様の事を理解することが出来ない「的外れな」者なのです。このような私たちは神様から完全に離れており、本来ならば裁かれなければいけない者です。
洗礼によって救われる
イエス様は罪人の私たちに救いを与えてくださいました。イエス様は私たちを救うためにこの地に来てくださり、私たちの罪の身代わりとして十字架にかかって死んでくださったのです。このイエス様を信じ、洗礼を受ける者は永遠の命を頂き、神の国へと招かれています。ヨハネ3:5には次のようにあります。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」「水と霊によって生まれる」とは、「洗礼」を意味しています。私たちは、「洗礼」によってこのイエス様の救いを受け取ることができるのです。
一方的な神様の恵み
洗礼は私たちに与えられているすばらしい恵みです。これを通して、イエス様と共に罪に死に、そして新しいイエス様の命が与えられます。それは私たちが何か偉いから、また宗教的な功績を積んだから、「洗礼」を受けることができるのではありません。ただ、イエス様の一方的な恵みであり、私たちに与えられたプレゼントなのです。イエス様を自分自身の神と信じる人は誰でもこの「洗礼」を受けることが出来ます。自分の罪深さに落胆してしまう時、神の前に悔い改め、この洗礼の恵みを思い起こしましょう。そして毎日新しく生まれさせられ、イエス様と共に歩んでいきましょう。
(松村雄志神学生)