だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。                Ⅱコリント5章17節

キリスト者、それは、「新しくされた者」です。

新しくされた者
コリントの教会は、コリントという非常に世俗的な町に立てられた教会でした。そして、そこに属するクリスチャン一人一人もまた、そのような過去を引きずるクリスチャンたちでした。そんなコリントの教会のクリスチャンたちに対して、パウロは、自分がどんな存在とされているのかを思い起させようとしました。

外面的には、わたしたちは、世の人と同じように、生き、生活し、罪を犯しています。けれども、そのわたしたちが、キリストの名による洗礼によって、新しい者、神の子とされた。そして、その新しいわたしに日々立ち返って歩むようにと召されているという自覚に、パウロは目覚めとしたということです。

キリストの使者
もう一つのことに目を留めておきたいと思います(18~20)。「キリストの使者」ということが言われています。パウロは、コリントのクリスチャンたちに対して、キリストにあって新しい者とされたという自覚を呼び覚ましたいと願いました。その上で、あなたがたは、「キリストの使者、使節なのです」と、新しくされた者としての使命を思い起させようとしたということです。わたしたちもそうです。わたしたちは、キリストにあって、新しくされました。神の子とされました。何にも束縛されない自由な君主とされました。その自由を、キリストの使者として、仕える者、愛する者、キリストの福音を伝える者として用いて行くよう、わたしたちは召されているのです。

わたしたちも、主イエス・キリストによって、新しい者とされた一人一人です。そして、道であるキリストを指し示すキリストの使者、使節とされた一人一人です。その原点に立ち返り、立ち返りつつ、キリストの使者、使節として歩む一年と、主に導いていただきたいと思います。それは、自分の救いのためではなく、キリストの恵みにより救われた者として、愛によって、そのように歩むようにと、わたしたち召されているのです。

(前川隆一牧師)