わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 ヨハネ15章5節
エステルの願いを入れて、王が、新しい法令の発布を命じた場面です。
古い法令と新しい法令
悪者ハマンは退けられました。けれども、ハマンの悪だくみによって出されたユダヤ人撲滅の法令は、今も生きていました。そのため、再び、エステルは、王の前にひれ伏し、涙ながらに法令の取り消しを願いました。そこで、王が提案した。それは、ユダヤ人を救う新しい法令を作って発布するということでした。
古い法令と新しい法令。古い法則と新しい法則。実は、わたしたちにも、古い法令と新しい法令、古い法則と新しい法則とが与えられています。パウロは、そのことを、「罪と死の法則」と「命と霊の法則」と言っています。「罪と死の法則」に従って生きている人は、「できる/できない」の世界に生きています。「できない人」は、いわゆる落ちこぼれとなります。では、「できる人」は、幸福感に満たされているのかと言うと、そうではありません。「できる人」もまた、プレッシャーやストレスの中で、多くの健康に関する問題、人間関係の悩みを抱えています。「罪と死の法則」に従って生きている人の世界、それは、ひと言で言えば、「頑張る」世界です。「頑張れ」「頑張れ」と言われる世界です。それに対して、「命と霊の法則」に生きる人の世界、それは、「つながる」世界です。自分の弱さを認めて、命の源であるお方につながって行く世界です。
エステル記を通して、わたしたちは、多くのことを学んで来ました。神様のときの流れの中で生きること。神様から知恵をいただいて生きること。祈り祈られることのたいせつさ。けれども、何より、わたしたちが心に留めたい。それは、キリストの名によって、神につながって生きることのたいせつだということです。この新しい年のわたしたちの歩みが、「罪と死の法則」ではなく、「命と霊の法則」に従った歩みでありますよう、祈りつつ、歩んで行きたいと願います。
(前川隆一牧師)