あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 ヨハネ13章34節
イエス様による「新しい掟」です。
わたしがあなたがたを愛したように
第一に、イエス様は、「わたしがあなたがたを愛したように」とおっしゃいました。それは、具体的にどのようなことを指していたのでしょうか。今日の箇所の少し前、13章1節~10節には、イエス様の洗足、イエス様が弟子たちの足を洗われたというできごとが記されています。イエス様は、洗足のできごとに現わされている具体的な行為をもって愛されたということでした。
弟子の無理解
第二に、そのようなイエス様の愛を、また、イエス様がお教えになった掟を、弟子たちは、正しく理解することができたかというと、この時点で、弟子たちは正しく理解することができませんでした。ペトロは、ペトロは、自分のがんばり、力によって、イエス様の掟に従い通すことができると思っていました。ユダは、イエス様が、ローマからの独立を勝ち取って下さる解放者という自分の中のイメージにとらわれ、イエス様の本質を見誤ってしまいました。
新しい掟
最後に、イエス様が「新しい掟」とおっしゃった、その新しさとはどのような新しさだったのでしょうか。「互いに愛し合いなさい」それは、決して、目新しい戒めではありません。イエス様の「互いに愛し合いなさい」という戒めは、十戒の戒めと比べて、どこがどう新しかったのでしょうか。その伏線として貼られたことが、具体的に回収されて行く場面、それが、21章ということでした。ペトロは、自分の中に、「アガペーの愛はない」ということを認めていました。そのペトロを、イエス様は、教会の羊飼いとされたということです。愛する者とされたということです。それは、自分のうちにある愛によってではなく、キリストの十字架の赦しによってです。キリストの復活の命によってです。わたしたちも、このキリストの十字架の赦しによって、復活の命によって、愛し、愛し合う者としていただくことができるのです。
(前川隆一牧師)