しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく、敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。                ルカ6章27節
 
イエス様の「敵を愛し、あなたの憎む者に親切にしなさい」との教えから始まる平地の説教の一部分です。

祈り
わたしたちは、どのようにして、そのような「敵を愛する愛」に生きることができるのでしょうか。ルカによる福音書6章27節に、「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」と言われ、その次の28節を見ると、「悪口を言うものに祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」ということが言われています。「祈り」ということ抜きに、「敵を愛する愛」に生きることはできないのです。

異言の賜物
今日の使徒書は、異言の賜物ということについて、パウロが語っているところです。では、今日の福音書と使徒書、二つの聖書の箇所がどのように結びついて行くのでしょうか。「敵を愛し、あなたの憎む者に親切にしなさい」ということの反対、それは、何でしょうか。それは、「自分を愛し、神様に近づこうとする人を退ける」ということになるのではないでしょうか。コリントの教会で、そのようなことが起こっていたということです。しかも、神様との交わり、祈りということに関する賜物、それも、最も親しく神様と交わることができるようにと与えられた異言の賜物を用いることにおいて、そのようなことが起こっていたということです。

主の祈り
今日の福音書に戻って、今日の箇所の少し前ですが、この平地の説教を語る前にイエス様が祈られたということが記されています(12)。また、「敵を愛せよ」とおっしゃったイエス様は、十字架上において、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」とお祈りになりました。わたしたちが敵を愛するということだけに限らず、愛に生きようと思うなら、このイエス様の祈りを土台とする以外、愛に生きることはできないのです。

(前川隆一牧師)