そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。                    マタイ4章13節
「ガリラヤで伝道を始める」、そして、「四人の漁師を弟子にする」と表題のつけられている箇所です。

悔い改めを通して
わたしたちは、どのようにして「主は生きておられる」ということを現実の生活の中で体験することができるのでしょうか。それは、第一に、「悔い改め」ということを通してです(17)。悔い改めを通して、主が生きていて、わたしたちの罪を赦して下さるということを、体験することができるのです。

主に遣わされた者として生きることを通して
第二に、主に従い、遣わされた者として生きることを通して、主は生きておられるということを体験することができるのです(19~20、22)。十字架の愛で愛された者として、わたしたちが愛し、仕える。その現場において、わたしたちは、仮面をかぶったイエス様とお会いすることができるのです。

礼拝において
第三に、わたしたちは、礼拝を通して、主は生きておられるということを体験することができるのです。第一に、悔い改めを通して、主が生きていて、わたしたちの罪を赦して下さるということを体験することができると言いました。悔い改め、主の赦しを受け取る。それが、礼拝のときなのです。第二に、主に従い、遣わされた者として生きることを通して、主は生きておられるということを体験することができると言いました。この礼拝を通して、主の赦しを受けた者として遣わされ、遣わされたところで、愛し、仕える。それが、わたしたちの信仰生活です。そして、その生活の現場から帰って来る。それが、礼拝なのです。そういう意味で、わたしたちの拠点、それは、この礼拝なのです。

パズルのピースがはまって行って、やがて完成するように、キリストを信じるということ、キリストを信じて生きるということを、いろいろな角度から学び、あるとき、ひらめくように悟りを与えられる。それが、この礼拝のときなのです。

(前川隆一牧師)