そのときから、イエスは、『悔い改めよ、天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた。 マタイ4章17節
イエス様の公生涯の始まりを記している部分です。
闇の現実
まず、闇の現実ということが記されています。「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰に住む者に光が射し込んだ。」そう言われています。アッスリアや他の外敵の侵略という闇の現実がありました。それは、外からもたらされた闇の現実でした。けれども、それとともに、南のユダと北のイスラエルという同族間において差別し、支配しようとする闇が存在していたということです。闇の現実がある。その同じ闇が、自分の内側にも存在している。それが、わたしたちが経験する闇の現実です。
光への招き
その闇の中にいる人々に向かって、また、わたしたちに向かって、イエス様がなさったこと、また、なさっておられること、それは、光の方に来るように招かれたということです。18節から、四人の漁師がイエス様の弟子となって行くということ、23節から、おびただしい群衆がイエス様のもとにやって来て従う者となって行くということが記されています。その弟子たちと群衆を前にして、イエス様が語り出された、それが、マタイ5章からの山上の説教です。そこで何を語られたのか。5章14節、「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。」そうイエス様は、語られました。
悔い改め
「あなたがたは世の光である。」イエス様は、光の方に来るように招かれました。そして、わたしたちをも光の方に来るように招いておられるということです。それは、自分の力で、自分のがんばりで、光り輝くようにということなのでしょうか。そうではありません。また、光の側に立つ者として、世の闇を裁き、糾弾するようにということなのでしょうか。それも、そうではあません。わたしたちが、光の方へ行くために、たいせつなこと、必要なこと、それは、悔い改めということなのです。4章17節、「そのときから、イエスは、『悔い改めよ、天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた。」
(前川隆一牧師)