それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」。 ルカ20章17節
「ぶどう園と農夫」のたとえと表題のつけられている箇所です。
アレゴリー
今日の箇所は、「たとえ」となっていますが、お話の登場人物や道具立ての一つ一つが、何をたとえているかがよく分かる、「アレゴリー」という文学手法のお話となっています。ぶどう園、それは、イスラエルを、主人、それは、父なる神様を、農夫、それは、イスラエルの指導者たちを、僕、それは、神様によって遣わされた預言者たちを、そして、息子、それは、言うまでもなく、イエス・キリストを指し示しています。そのように、一義的に、イスラエルの指導者たち、祭司長や律法学者と呼ばれる人々に向けて語られたお話であるということです。
ダビデ
聖書の中で、「そんなことがあってはなりません」(16)、そう反応した、少なくとも二人の人がいました。一人は、ダビデです。預言者ナタンのたとえ話を聞いて、ダビデが「そんなことがあってはならない。そんなことをしたその男は、死刑だ」と言ったそのとき、預言者ナタンから「それがあなたです」との指摘を受けました。そのように、わたしたちも、普通の感覚でこの物語を読めば、「そんなことがあってはなりません」と思う。でも、そのわたしたちに、「それがあなたです」、そう語りかけてくる、それがこの物語なのです。
ペトロ
「そんなことがあってはなりません」、そう反応したもう一人は、ペトロです。イエス様が、十字架へと向かって行こうとしている、とおっしゃったとき、ペトロは、「そんなことがあってはなりません」と言いました。そのとき、イエス様は、ペトロをお叱りになり、まっすぐに、十字架へとみ顔を向けて行かれました。「そんなことがあってはなりません」、そのようなペトロの思いを振り払うようにして、イエス様は十字架へと歩んで下さいました。そして、復活して下さいました。そして、わたしたちが、神の子として歩む、その土台となって下さったのです(17)。
(前川隆一牧師)