疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
マタイ11章28節
有名なイエス様の招きのことばを含む箇所です。
来なさい
第一に、イエス様は、「来なさい」と招いておられます。わたしたちは、幼子のように、キリストを信じ、信頼する信仰を与えられました。けれども、その一方、この部分は、自分でやれると、イエス様に信頼しないで、自分の思いを握りしめている部分があるのです。そのありのままのわたしとして、まるごとわたしのもとに来なさい。そう招いて下さっているのです。イエス様のもとへ行くとき、イエス様は、わたしたちの信頼、信仰をより豊かなものとして下さいます。それとともに、自分でやれると思っている高慢、自分を義としようとする罪を、赦しきよめて、イエス様にある能動の義へと置き換えて下さるのです。
軛を負いなさい
そして、「軛を負いなさい」と招いておられます。「わたしの軛を負いなさい」、それは、「イエス様とともに歩む者となりなさい」ということです。けれども、まことの人であるイエス様と歩調を合わせて歩む、そんなことが罪人であるわたしたちに、ほんとうにできるのでしょうか。そうではないのです。わたしたちが、キリストのもとに行く。そのとき、わたしたちは、罪赦され、神の子とされ、新しい者とされるのです。その新しいわたしとして、わたしたちは、イエス様とともに歩むのです。
学びなさい
また、「学びなさい」ということもそうです。わたしたちは、イエス様の歩みに学んで、仕える者として生きるようにと招かれています。けれども、それは、自分の努力やがんばりで、イエス様を模範として生きるということでは決してありません。わたしたちは、キリストのもとへ行くことを通して、罪赦され、神の子とされ、新しい者とされました。その新しいわたしとして仕える者として歩むのです。
いろいろな思いがある中で、そのままで、キリストのもとに行く。そして、新しいわたしとしていただいて、キリストとともに歩む。新しいわたしとしていただいて仕える者として歩む。それが、わたしたちの信仰生活なのです。
(前川隆一牧師)