わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かに下さる神がほめたたえられますように。神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。       Ⅱコリント1章3~4節
 
コリント信徒への第二の手紙、その冒頭部分です。

神はわたしたちにとって、どんなお方であるか
今日の箇所、三つのことが勧められています。第一、それは、「神はわたしたちにとって、どんなお方であるかを思い起こしなさい」というメッセージです(3)。パウロは、慰めの神がほめたたえられるようにといっています。なぜ神を賛美するのか、それは、神がすべての慰めの源なるお方だからです。パウロは、こう言っているのです。「どんなときにも、問題にではなく、あるいは、みじめな自分の心にでもなく、その問題を解決して下さる慰めの神に焦点を合わせなさい」。この慰めの神に焦点を合わせるということがたいせつです。

神がわたしたちのために何をして下さるか
第二に、「神がわたしたちのために何をして下さるかを思い起こしなさい」ということが語られています(4a)。どんな状況の中にあっても、神は慰め、励まし、勇気づけて、救い出して下さる、それが、パウロが語る二番目の強調点です。イエス様がおっしゃいました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」。この「休ませる」とは、英語の聖書では、「リフレッシュ」、回復させるという意味のことばです。また、「疲れた者」とか、「重荷を負う者」というのは、「もう重荷を負って一歩も歩くことのできない人」のことです。「そういう人は、わたしのところへ来なさい。もう一度回復し、新しい力を与える。慰めて、救い出す」、それが、キリストの約束であるということです。

神がわたしたちを通して何をなさるか
第三に、パウロは、「神がわたしたちを通して何をなさるかを思い起こすように」ということを語ります(4b)。わたしたちが苦しみを経験する。悲しみを経験する。それは、そのことを通して、神の慰めをわたしたちが経験するためにです。そして、そのことを通して、今度は、わたしたちが同じ苦しみ、悲しみを経験している人々を慰める者となって行くようにと神様は願っておられるということです。

(前川隆一牧師)