それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」 ルカ17章19節
イエス様によって、十人の重い皮膚病を患う人々がいやされたできごとです。
感謝
さて、イエス様のもとへ感謝しに帰って来たこのサマリア人の姿、それは、わたしたちがキリストを信じて生きるというときの一つの模範と言えるすばらしい信仰の姿、姿勢です。その第一、それは、感謝ということです。彼は、感謝を習慣としていました。だからこそ、いやされたとき、まず、いやしていただいたイエス様のもとへ感謝を表しに帰って来たのでした。
十字架に対する感謝
第二に、彼は、感謝は感謝でも、イエス様に感謝しました。わたしたちは、感謝を習慣として生きるようにと招かれています。けれども、その根底において、イエス様に感謝する。イエス・キリストに感謝する。そのことによって、わたしたちは、ほんとうの意味で、感謝を習慣として生きることができるのです。
損得という世の中の基準だけで生きるとき、ほんとうの意味で、感謝に生きることはできません。損得をこえて、わたしを、慈しんで下さった。そして、命を捨てて下さった。それが、キリストの十字架です。このキリストの十字架に対する感謝を土台として、わたしたちは、ほんとうの意味で、感謝に生きることができるのです。
召しに生きる
第三のこと、キリストの十字架に対する感謝、そこから、召しということ、召命ということが生まれて来るのです。他の九人と、イエス様のもとへ感謝しに帰って来たこの一人と、この後の人生、何か違っていたでしょうか。違っていました。それは、イエス様の「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」とのことばをいただいて、その後の人生を生きたかどうかということです。そして、このイエス様のおことばをいただいて、召されたところで、仕える者として生きる。それが、わたしたちの信仰の歩みなのです。
(前川隆一牧師)