イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。 ヨハネの手紙第一3章16節
一人の律法学者が「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」と尋ねたのに対してイエス様がお答えになった場面です。
愛への集中
第一に、イエス様のお答えは「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない」でした(29~31)。手段である掟が指し示している目的、それは、神を愛することと自分を愛するように隣人を愛することである、とイエス様はお答えになりました。
だれが語ったことばか
律法学者が適切な答えをしたのを見て、イエス様は「あなたは、神の国から遠くない」とおっしゃいました。答えとしては適切であり、正解なのです。神の国にあと一歩のところまでこの律法学者は来ていました。でも、神の国、神の祝福の支配の中にまでは入っていなかったのです。何が問題だったのか。それは、この掟のまとめとともに、このことをだれが言ったかということが重要なのです。そのように言われた主イエス様が十字架の死を通して、わたしたちがこの愛に生きるようにして下さったのです。それが今日覚えたい第二のことがらです。
イスラエルよ、聞け
もう一つ、イエス様は、「イスラエルよ、聞け」とおっしゃいました。イエス様の十字架の愛によってわたしたちはほんとうの愛に生きる者とされます。そしてそれは、具体的には、みことばを聞く、聖書のことばを聞くことを通して、聖霊が働いて下さり、ほんとうの愛に生きる者として下さるのです。でも、そのみことばの聞き方ということがたいせつです。聖書のことば、それは、神のことばとして聞くべきことばです。神の民の交わりの中に身を置いて聞くべきことばです。そして、キリストの十字架を通して、恵みとして聞くべきことばなのです。
(前川隆一牧師)