話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。 ルカによる福音書5章4節
ペトロの召命のできごとです。ペトロは、主のことばに従うことを通して、恵みの深みへという経験をして行きました。
神の恵みの深みへ
ペトロは第一に、文字通り神の恵みの深さを味わう経験へと導かれました。ペトロは、イエス様が予告されたとおりに、イエス様のことを裏切ってしまいます。そのペトロの裏切りを打ち消すかのように、復活されたイエス様は、ペトロに向かって、「わたしを愛するか」と三度お尋ねになりました。ペトロは、自分の弱さ、罪深さを経験し、そのことを通して、神様の恵みの深さ、イエス様の十字架のご愛の深さを味わい、経験しつつ、歩んだ人でした。
神のみこころの深みへ
第二に、ペトロは、神様のみこころの深さを味わう経験へと導かれました。神様は、ユダヤ人だけではない。異邦人も含めて、すべての人を救おうとしておられる。いや、神様は異邦人を救い、ユダヤ人に妬みを起こさせ、ユダヤ人をも救おうと願っていられる、という神様のみこころの深さをペトロは学んで行くこととなります。「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解しつくせよう」(ローマ11:33)。
神の知恵の深みへ
そしてペトロは、人間の思いを超えた神様の知恵の深さを味わう経験へと導かれて行きました。初代教会は、やがて大きな迫害を経験するようになります。でも、そんなとき、ペトロは、いたずらにその原因探しをするのでなく、神様がこのことを通して何を語り、何をなそうとしておられるのだろうか、という神の視点に立って物事を見る者とされて行きました(ペトロ第一の手紙5章6~7節)。
ペトロがそうであったように、わたしたちも主に従うことを通して、神の恵みの深さを味わう者、神様のみこころの深さを味わう者、人間の思いを超えた神様の知恵の深さを味わう者とされて行くようにと招かれているのです。
(前川隆一牧師)