このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。 ローマ5章2節
今日のローマ書は、「信仰によって義とされた者の新しい生活」ということを語っているローマ書の第三部の冒頭部分です。
神との平和
「信仰によって義とされた者の新しい生活」、それは第一に、「神との平和」ということです(1)。罪のない神の御子イエス・キリストが、わたしが受けるべき罪の罰を身代わりに受けて死んで下さった。あの十字架で死なれたキリストをわたしの罪の裁きの身代わりとして死んで下さった救い主と信じ、受け入れるなら、わたしたちは、救われ、神の子とされ、永遠の命を受け継ぐ者とされるのです。そして、神との平和の中に入れられるのです。
練達の者
「信仰によって義とされた者の生活」、それは第二に、練達、希望へと向かう歩みです(3~4)。救いという点において、それは、まったくの恵みです。けれども、同時に、わたしたちは、救われた者として、練達の者となって行く必要があるのです。また、そのように神様がわたしたちを訓練して下さるのです。
神の栄光のあずかる希望を誇りとして歩む
「信仰によって義とされた者の生活」、それは第三に、「神の栄光にあずかる希望を誇り」として歩む生活です(2)。パウロ、彼は、それこそ、誇りの塊のような人でした。クリスチャンになってもそれは変わりませんでした。けれども、パウロは、もう一つ、別の誇りを持つ人に変えられて行きました(コリント第二の手紙11章30節)。自分の弱さをありのままに認め、その自分の内にいて下さるキリストを誇るという新しい誇りを持つ人とパウロは変えられて行きました。
わたしたちは、さまざまな戦いを経験します。けれども、そのことを通して、練達の者としていただくのです。キリストにあって、正しい誇りを与えられて、その戦いに向かって行くことができるのです。神との平和という土台の上に立って、そのように歩んでいくことができるのです。
(前川隆一牧師)