わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、さらに恵みを受けた。 ヨハネ1章16節
ヨハネによるクリスマス物語といえる箇所です。
恵みを数える
そのような今日の箇所の中、特に、16節に心を留めたいと思います。おもしろいことですが、このように、「恵みの上に、さらに恵みを受けた」と言いながら、ヨハネの福音書は、この後、この「恵み」ということばが出て来なくなります。これは、どういうことなのでしょうか。それは、イエス様の具体的な行動、お姿を通して、ヨハネは、「恵み」ということを語ろうとしているということです。今年一年の歩みをふり返ったとき、恵みの上に恵みを受けたとは思えない。そんな思いでこの日を迎えておられる方もあるかもしれません。けれども、ふりかえってみたとき、その歩みのところどころに、主の恵みの御手があったことを、わたしたちは振り返ることができるのではないでしょうか。
恵み対恵み
もう一つのこと、この「恵みの上に、さらに恵みを」というところですが、原文のギリシャ語で見ると、「恵み対恵み」そんな風に訳すことができることばが使われています。日常用語にもなっている「アンチ」ということばです。この「アンチ」ということばは、「対価」とも訳すことができることばです。神の戒め、律法に対して、それ相当の対価と言うと、それは、善行ということになります。それに対して、「恵み」、「神の恵み」に対するもの、それは、「善行」ではなく、「恵み」であるということです。わたしたちは、ついこの世の常識にとらわれて、誤解してしまいます。神様のこんなに大きな恵みを受けるためには、何をする必要があるのだろう。どんな善行をもってお返しをする必要があるのだろう。でも、それは、必要ないと神様はおっしゃるのです。神様は、わたしたちが恵みとして受け取ることを喜びとしてくださるのです。そして、恵みとして受けたのですから、恵みとして、愛を流し出して行く。そんな信仰生活に歩むようにと、わたしたちを招いて下さっているのです。恵みに始まり、恵みに恵みを加えられ、そして、恵みに終わる。それが、わたしたちの信仰生活であるということです。
(前川隆一牧師)