マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」そこで、天使は去って行った。           ルカ1章38節

受胎告知のできごとです。

奥義
「神様の企て」を、神様がマリアに打ち明けられた。それが、今日の箇所と言うことができます。「神の企て」、それは、「神の秘密の計画」「神の奥義」そう言い換えることができます。「秘密」「奥義」ということを言うと、いろいろな宗教に、「秘密」「奥義」というものがあります。「秘密」「奥義」を究めた導師に導かれて、一段一段と階段を上って行き、高い奥義に達しようとする。それが、多くの宗教のあり様です。そういう点で言うなら、キリスト信仰は、逆の方向を向いています。イエス様は、「はっきり言っておく、子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そうおっしゃいました。

十字架
第二のことですが、天使は、マリアに、「その子は、偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼にダビデの王座をくださる。」そう言いました。その子は、ユダヤ人の王となる。そう天使は告げたということです。確かに、その子どもは、成長して、「ユダヤ人の王」と書かれた板を掲げられることになります。それは、自分自身が、かけられる十字架上に掲げられることになるのです。ユダヤ人の王として、しかも、人々を支配する王ではなく、十字架で死ぬことを通して、罪人であるわたしたちに救いの道を開く王として、救い主としてお生まれになるということを天使は告げたということです。

復活
第三のこと、それは、コリント信徒への第一の手紙15章51節にこうあります。「わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。」キリストの復活、そして、キリストを信じる者もまた、その復活の命に与ることができる。それが、聖書信仰の、キリスト信仰の奥義があるということです。

(前川隆一牧師)

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