人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。             マタイ10章26節
イエス様が、弟子たちに三度も恐れるなと語られた箇所です。

エレミヤ
 イエス様の弟子たちは、恐れていました。旧約のエレミヤも弟子たちお同じような恐れを経験していました。エレミヤが、恐れを超えて、主のみこころに歩むことができた、それは、エレミヤのうちに語られた神のことばによってでした。神の言葉を封印しようとすればするほど、自分のうちに語られた神の言葉が、火のように燃え上がり、抑えておくことができない経験をエレミヤはしました(エレミヤ20章9節)。

弟子たち
 弟子たちに対して、イエス様は、三度も「恐れるな」と語って下さいました。では、そのイエス様のおことばによって、弟子たちは、恐れを超えて、イエス様に従うことができたのでしょうか。答えはノーです。弟子たちは、イエス様を裏切ってしまいます。逃げ去ってしまいます。イエス様は、弟子たちに裏切られ、人々に見捨てられ、十字架で死なれます。けれども、その十字架の死と復活を通して、弟子たちが、恐れを超えて主のみこころに生きる者へと造り変えて下さったのでした。

わたしたち
 これらのことを通して、わたしたちは、イエス・キリストを信じる信仰によって、恐れを超えて、主のみこころに歩むことができるということが分かります。わたしたちは、古い人として、弱さ、恐れを正直に告白してよいのです。その上で、あの洗礼において、古い人に死んでいるということを認め、キリストにある新しい人として、主のみこころに歩むようにと招かれているのです。
エレミヤは、抑えることができない神のことばに押し出されて、裁きを預言しました。それに対して、わたしたちは、抑えることができない主のことばに押し出されて、裁きではなく、救いを語る者とされています。それは、イエス様が、その裁きを十字架において引き受けて下さったからです。

(前川隆一牧師)