「惑わされないように気をつけなさい。」 ルカ21章8節
イエス様が神殿の崩壊を予告、また、そのことをきっかけに、終末ということをお語りになった箇所です。
主を畏れる
今日は、その中の「惑わされないように気をつけなさい」とおっしゃったイエス様のおことばに心を留めたいと思います。わたしたちは、環境と賢く関わりながら、それとともに、それらによって振り回されないように、正しく線を引くことがたいせつです。では、わたしたちは、何を基準にして線を引くことがたいせつなのでしょうか。その第一は、わたしたちは、「主を畏れる」者であるという基準です(箴言1章7節、ローマ3章23節)。
赦されている
わたしたちは、「主を畏れる」者であるという基準に立つ必要があります。とともに、第二に、わたしたちは、キリストによって罪赦された者であるという基準に立つ必要があります。「主を畏れる」というとき、それは、主に裁かれないだろうか、主に罰せられないだろうかとびくびくして生きるということでは決してありません。わたしたちは、十戒を通して、主を畏れて歩みます。それとともに、罪を示されたなら、キリストのもとへ行き、赦しを受け取り、赦された者として生きる。それが、わたしたちの信仰の歩みなのです(ローマ8章1節、イザヤ53章4~5節)。
ともにいて下さる
そして、第三に、主がともにいて下さる。それが、私たちの基準です。それは、わたしたちが、きよく、正しく、主のみこころにかなって歩むなら、主がともにいて下さるということではありません。わたしたちは、迷います。人を傷つけ、神様のみこころを痛めます。そのような自分の罪を認め、悔い改めて、主の赦しを受け取って、また、歩み出します。その全体を通して、主はともにいて下さるのです(ヘブライ4章15~16節、マタイ28章20節)。
(前川隆一牧師)