あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。            ルカ24章6節
 
 イエス様が復活された朝のできごとが記されている箇所です。

復活の事実
女性の弟子たちは、この朝、二つのことを経験しました。それは、第一に、石が転がされており、お墓が空っぽであるということを見たということです。キリストの復活は嘘である。弟子たちの作り話であると言われる方があるとすれば、それは、当時の常識をご存じない方と言えます。キリストの復活の最初の目撃者、それは、女性の弟子たちでした。当時、女性という存在は、蔑視された存在、数に入れられない存在、信用に足らない存在でした。もし、キリストの復活が弟子たちの作り話であるとすれば、もうちょっとましなお話、人々が信用しそうなお話を作ったに違いありません。キリストの復活の最初の目撃者、それは、女性の弟子たちでした。彼らは、蔑視された存在、数に入れられない存在、信用に足らない存在でした。だからこそ、それは、キリストの復活のリアリティー、キリストの復活がほんとうだったということを力強く指し示している、ということです。

思い出しなさい
第二のこと、それは、輝く衣を着た二人とありますが、御使いが現れて、女性の弟子たちが、そのことばを聞いた、ということです。復活の事実ということ。キリストの復活が事実であったとしても、それが、即、試練を乗り越える力、死を超える希望といったことに結び付くということではありません。そこで、女性の弟子たちが経験したもう一つのことが重要な意味をもつこととなります。女性の弟子たちは、御使いが告げることばを聞いたということです。その中で、こう言われています。「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい」。復活の事実とイエス様がお語りになったことば、みことばとが、信仰によって結び付けられることによって、その人のうちに、試練を乗り越える力、死を超える希望がもたらされるのです。

(前川隆一牧師)