わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。
ヨハネ6章44節
向こう岸からやって来た人々とイエス様とのやりとりに地元の人々が割り込んで来た。その地元の人々とイエス様とのやりとり、それが、今日の箇所です。
永遠の命
イエス様は、「父が引き寄せて下さらなければ」と言われました。わたしたちは、父なる神様に引き寄せていただく、引き上げていただくことを通して、第一に、この肉体の命がすべてではない、永遠の命に生かされているという新しい世界を見る者としていただくのです。パウロは、そのことを経験しました(コリント第二の手紙12章1~4節)。わたしたちは、パウロのような特別な経験をさせていただくということはないかもしれません。けれども、礼拝において、永遠の命に生かされている。パウロと同じ希望をもって生きる者とされているということを確認することができるのです。
豊かな命
第二に、わたしたちは、父なる神様によって引き寄せていただき、引き上げていただいて、この地上にあっても、豊かな命に生きる者とされるのです(ヨハネ10章10節)。わたしたちは、神様に引き上げていただいて、憎むのでなく赦す者、報復するのでなく愛する者としていただくのです。そして、豊かな命に生きる者としていただくのです。
孤独のいやし
第三に、わたしたちは、父なる神様によって引き寄せていただき、引き上げていただいて、孤独をいやしていただくことができるのです。
神様は、わたしたちを引き寄せて下さるお方です。引き上げて下さるお方です。そして、わたしたちを引き寄せるために、引き上げるために、神が人となって下さった、それが、わたしたちの主イエス・キリストであるのです。そして、わたしたちを引き寄せるために、引き上げるために、神が人となって下さったキリストのからだと血に与る、それが、聖餐の礼典であるのです。
(前川隆一牧師)