あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。                          使徒1章8節

 
ペンテコステのできごと、教会誕生のできごと、それは、教会が、後に、もっと言えば、今日、どのような働きをする存在であるかを指し示しています。

力を受ける
聖霊を目で見ることはできません。けれども、聖霊が働いているということを、聖霊を受けた人の変化によって知ることができます。弟子たちは、聖霊が降って、力を受けました(使徒1・8)。それは、立ち上がる力です。また、それは、愛する力です。わたしたちも、いろいろな困難のある中、立ち上がるためには、聖霊を受ける必要があります。人を愛そうとするとき、聖霊を受ける必要があります。

みことばに根ざす
第一に、聖霊が降ることを通して、弟子たちは力を受けました。第二に、その聖霊に力を受けてペトロが語った説教に注目したいと思います。それは、決して、熱に浮かされたような説教ではありませんでした。それは、旧約聖書のみことばを土台とした説教でした。旧約聖書が預言している救い主、それが、イエス・キリストであるというキリストを指し示す説教でした。わたしたちも、みことばを土台とし、みことばに導かれて信仰生活を歩むことがたいせつです。

多くの国のことばで
第三に、聖霊が降ったとき、弟子たちは多くの国のことばで語り出しました。ある人は、これは、異言であると言います。けれども、弟子たちの様子を見た人々の反応、それは、「酒に酔っているのだ」というものでした。普通、酒に酔った人は、外国語でわめき散らすということはありません。つまり、弟子たちの様子を見た人々は、その弟子たちが語っていることばを理解できたということです。ですから、これは、異言ではなく、むしろ、この後、弟子たちは、世界中の国の人々に対して、その人々が分かることばで福音を語る者となるということを指し示していました。そしてその延長線上に、今日わたしたちが、愛しながら、仕えながら、何とかして、その人に届くことばで福音を伝えようとするその営みも含まれているのです。

(前川隆一牧師)