さて、イエスは目を上げて弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。」                  ルカ6章20節
 

イエス様による平地の説教の冒頭部分です。

貧しい人々
イエス様は、「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである」とおっしゃいました。どうして、イエス様は、そのようにおっしゃったのでしょうか。「貧しい人々」、それは、「生まれながらに貧しい」というより、あることがあって、貧しい者となった人々ということです。では、どういうことがあって、貧しい者とされたのか。それは、23節に、「預言者たち」ということが言われています。聖書をよく読んで行くとき、預言者ということばを、直接預言者として召された人々を越えて、もっと広い意味で使われているということが分かります。わたしたちも、生き方を通して、生活を通して、神のことばをあかしする者として、預言者と言うことができます。そして、その預言者とされたが故に、損をする。貧しい者とされるということをわたしたちは経験するのです。

幸い
けれども、そのことを、イエス様は喜びなさい、とおっしゃいました。どうしてか、それは、わたしたちには、神の国が与えられているからです。わたしたちは、この地上の生がすべてではない。やがて、イエス様の御国に入れられたとき、主から報いをいただくことができる。だから、「喜びなさい」と言われているのです。でも、それは、やがて、わたしたちが死んだ後のことかと言うと、そうではありません。今、聖霊を通して、その保証が与えられている。そうペテロは言っているということです。Ⅰペトロ4章14節です。「あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。栄光の霊、すなわち、神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。」そう言われています。

わたしたちは、神を愛し、神様がわたしの前において下さったその人を愛するのです。そして、そのように、イエス様の十字架の愛によってしていただいた、それが、わたしたちクリスチャンなのです。だから、主によって、貧しい者とされたわたしたちは、幸いな者なのです。

(前川隆一牧師)