さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。」 ルカ6章20節
イエス様による平地の説教の最初の部分です。
富んでいる人の不幸
平地の説教の最初の部分において、イエス様が「幸い」とおっしゃっておられる四つのこと、「不幸」であるとおっしゃっておられる四つのことが記されています。
「富んでいるあなたがたは、不幸である」ということ。富、それは、わたしたちの心までもそれで満たし、いっぱいにしてしまう危険性を持っています。そのことを絵のように描き出している一つのお話、それが、ルカ16章に出て来る「金持ちとラザロ」のたとえ話です。このたとえに出て来る金持ちは、富を享受するということに、心がいっぱいになって、目の前のラザロの存在が見えなくなってしまっていたのでした。
貧しい人の幸い
「貧しい人々は、幸いである」、イエス様がそう語り出されたとき、人々はびっくりしました。旧約聖書の時代から、富、それは、神に祝福されているしるしとされていました。イエス様は、貧乏な生活、食うや食わずの厳しい生活を送らなければ、天国には行けないとお教えになったのでしょうか。そうではありませんでした。「貧しい人々は、幸いである」というとき、それは、前後の文脈から、神様の語りかけに従って、貧しくなることを選び取った人、損をすることを選び取った人、その人は幸いである。そうイエス様がおっしゃっておられるということが分かります。このことを絵のように描き出しているお話、それが、ルカ10章に出て来る「よきサマリア人のたとえ」です。このサマリア人のような、自由な愛をもって、愛する人、損をすることを選び取って行く人、貧しくなることを選び取る人、その人は幸いである。そうイエス様はおっしゃっておられるということです。では、わたしたちは、どのようにして、そんな幸いな人になることができるのでしょうか。イエス・キリストを信じる信仰によって、わたしたちは、罪赦され、神の子とされ、自由な愛をもって愛する者とされるのです。そして、そこに、神様は天国をつくり出して下さるのです。
(前川隆一牧師)