暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。ルカ1章79節
今日の箇所は、ヨハネが誕生した後、十ヶ月ぶりにことばを取り戻し、賛美にあふれて語ったザカリヤの預言のことばです。
顧みて下さる神様
以前の口語訳聖書では、ザカリヤの預言の最初の部分68節は、「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。神はその民を顧みてこれをあがない」と訳されていました。それを、新共同約聖書では、「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し」と訳しています。神様は、わたしたちのことを顧みて下さるお方です。そして、あのイエス様がザアカイの家を訪れて下さったように、具体的に訪れて下さるお方です。そしてそれが、クリスマスのできごとなのです。
赦して下さる神様
神様は、わたしたちのことを顧みて下さる神様です。わたしたちを訪れて下さる神様です。それが、クリスマスです。そしてそれは、わたしたちに赦しを与えるために、神様はわたしたちを訪れて下さったのでした(78)。イエス様がザアカイの家を訪れられたとき、こんなことをおっしゃいました。「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」(ルカ19章10節)。神様が与えて下さる赦し、それは、赦免というより、関係の回復です。わたしたちは、主に赦されて赦しに生きる者とされるのです。
平和の道に導いて下さる神様
第三に、神様は平和の道に導いて下さる神様です。別な箇所で、イエス様は、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」とおっしゃいました(マタイ10章34節)。ヨハネが生まれたときにも、親戚は、父の名を取って「ザカリヤ」と命名しようとしましたが、ザカリヤが板に「この子の名はヨハネ」と書いたときに、ザカリヤは舌がほどけ、神を賛美し始めたのでした。神様のみこころに従う、そのことを通して、神様はわたしたちを真の平和の道へと導いて下さるのです。
(前川隆一牧師)