イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って。                      ゼカリヤ書9章9節

今日の聖書は、イエス様のエルサレム入城のできごとです。

王として
第一にイエス様は、王としてエルサレムに入城されました。これまでのイエス様は、ご自身がメシア、救い主であることを隠すようにして歩みを進めて来られました。けれども、このエルサレム入城においては、人々が、自分の服を道に敷き、葉の付いた枝を道に敷いたその上をお通りになりました(8)。そして、「我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」という人々の祝福をお受けになりました(10)。イエス様は、王としてエルサレムに入城されました。

柔和な王として
第二にイエス様は柔和な王としてエルサレムに入城されました。イエス様は足のつきそうな子ろばに乗ってエルサレムに入城されました。それは、「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者 高ぶることなく、ろばに乗って来る 雌ろばの子であるろばに乗って」とのゼカリヤ書9章9節の預言に従ったものでした。王として、しかも柔和な王として、武力でもって人々を蹴散らす王ではなく、十字架で死ぬためにエルサレムに入城する王としてイエス様はお出でになったのでした。

あなたの王として
先ほどのゼカリヤ書のみことばの中で、「「見よ、あなたの王が来る」と言われています。イエス様は、あなたのため、わたしのためにお出でになりました。イエス様が王であるということ、支配者であるということと、十字架で死ぬということとは矛盾しています。しかし、そのことがそのまま受け入れられるとき、罪の赦しのできごとが起こるのです。柔和な王がわたしの心の王座を治めて下さるということが起こるのです。

アドベントを迎えたこのとき、イエス様を王としてお迎えし、再びお出でになる主を待ち望む心の姿勢を整えたい、と思います。

(前川隆一牧師)