家を建てる者の退けた石が 隅の親石となった。これは主の御業 わたしたちの目には驚くべきこと。                詩編118編22~23節
 
イエス様のエルサレム入城のできごとです。

新しい場面
第一に、今日読まれたマルコ11章から、マルコによる福音書は、新しい場面、新しい局面に入っています。わたしたちも、後戻りできないコロナ禍という現実、局面を生きています。そして、コロナ禍という現実を経験した者として、この後の世界をどう生きるか。そのことがわたしたちに問われているのです。

ロバの子に乗って
そのように、マルコによる福音書の第三の場面の最初の部分において、何が記されているかというと、それは、イエス様がろばの子に乗ってエルサレムに入城されるということでした。ここで、イエス様がしておられること、それは、王になろうとしておられるということです。しかも、イエス様は、立派な軍馬ではなく、足が地面に着きそうなロバの子に乗って入城されました。王として、しかも、柔和な王として、平和の王としてエルサレムに入城されたということです。イエス様がろばの子に乗ってエルサレムに入城された、それは、当時の人々に対して、そして、わたしたちに対して、イエス様を王として迎えてほしいという行動を通しての預言、メッセージでした。

隅の親石
では、イエス様は、何のためにエルサレムに入城されたのでしょうか。それは、退けられるために、捨てられるために、エルサレムに入城されました。しかも、そのことを通して、わたしたちが人生を生きるその土台の石となって下さるために、エルサレムに入城されました。「家を建てる者の退けた石が 隅の親石となった。これは主の御業 わたしたちの目には驚くべきこと。」(詩編118編22~23節)イエス様は、罪と死の問題の解決のために十字架で死ぬために、エルサレムに入城されたのでした。このお方を王としてお迎えすることを通して、わたしたちは、苦しみを突き抜けた希望を見上げて行くことができるのです。

(前川隆一牧師)