だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。 ヨハネ20章23節
「イエス、弟子たちに現れる」「イエスとトマス」「本書の目的」と表題のつけられている部分です。
平安
弟子たちが、イエス・キリストの復活を通して、受け取ったもの、その第一は、「平和」「平安」でした。弟子たちは、今度は、自分たちが捕らえられるのではないかと恐れていました。もう一つ、恐れていたものがありました。それは、イエス様ご自身を恐れていました。イエス様が自分たちの立たれるとすれば、裁き主として立たれるに違いない。そんな風に、弟子たちは、恐れました。けれども、イエス様は、弟子たちの前に、復活のお姿を現し、おっしゃいました。「あなたがたに平和があるように。」
命
第二に、弟子たちが、復活の主から受け取ったもの、それは、「命」でした。イエス様は、もう一度、弟子たちに、「あなたがたに平和があるように」とおっしゃった後、22節、「そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。』」そう言われました。これは、創世記2章7節の記述に対応しています。神様が地の塵で人をかたちづくり、命の息を吹き入れられることを通して、人間が生きる者となったように、イエス様に息を吹きかけられて、弟子たちは、命を受け、新しく生きる者となったということです。
赦し
第三に、弟子たちが受け取った、それは、「赦し」ということでした。イエス様は、20節、弟子たちに、「手とわき腹をお見せに」なりましたが、それは、赦すために来られたというしるしでした。そして、こう言われました。「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」(23)。弟子たちが受け取った平和、平安、それは、イエス様から赦されたというところから来る平和、平安でした。また、弟子たちが受け取った命、それは、イエス様から赦されたという赦しの基づく命でした。
(前川隆一牧師)