ルカ16章19-31節

イエス様が語られた「金持ちとラザロ」は、お金の用い方に関する一連の話の中にあって、私たちの命がこの世で終わるものでなく、死後の裁きがある(ヘブライ9章27節)ことを教えています。人が地上を終えて、ラザロか金持ちか、どちらの場所に行くかを決められるのは神様です。

二人の生き方は対照的でした。貧しいラザロはいつもお腹をすかせており絶望的な状況でした。しかし神様はラザロを、「神が助ける」というその名前の通り、アブラハムのふところと呼ばれる天国に入れ、労苦から解かれて永遠の安らぎに入れられたのです。一方、毎日ぜいたくに遊び暮らした金持ちは、ラザロの苦しみに無関心でした。金持ちは神様に背を向けていたので、隣人を愛せよという神様のみ心を行わなかったのです。金銭を愛し、富に仕える生き方は、私たちに全てを与えられる神様を軽んじるものです。

自分さえ良ければ、というのは私たちの罪の性質です。

罪の裁きの場所で苦しむべき私たちの身代わりに十字架にかかり三日目に復活されたイエス様は、深い淵を越えて天国での住まい、永遠の命を約束してくださいました。この救いは神様からの恵みで、聖書のみ言葉を聞きイエス様を信じて受け入れる人には誰にでも与えられます。遅すぎないうちに、「今こそ、救いの日」(Ⅱコリント6章2節)です。み言葉が語られる所に聖霊様が働き、人が悔い改めて神様を信じるという大きな奇跡を起こしてくださるのです。

(松田朋子神学生)