それは、完全な道を歩き、正しいことを行う人。心には真実の言葉あり  詩編15編2節

 
1節で、「主よ、どのような人が、あなたの幕屋に宿り 聖なる山に住むことができるでしょうか」と言われ、2節で、三つのことが言われています。

完全な道を歩く人
まず、「完全な道を歩く」ということが言われています。「道」ということが言われています。信仰、それは、キリストの教えを参考にして生きるということではありません。今も生きておられるキリストとの人格的な交わりの中で生きるということを意味しています。また、今も生きておられるキリストに人格的に応答して生きるということを意味しています。

正しいことを行う人
第二に、「正しいことを行う」ということが言われています。ルツは、姑のナオミとともにやって来たベツレヘムで、落穂拾いに出かけて行きました。そのことを通して、ルツはボアズとの運命的な出会いを経験したのでした。「正しいことを行う」、行動を起こして行くということがたいせつです。

真実のことばを語る人
そして、「真実の言葉を語る」ということが言われています。ボアズは、適切な態度で、適切なことを語りました。わたしたちも、ボアズのように折にかなった態度で、折にかなったことばを発する者としていただきたいと願います。

では、わたしたちは、どのようにしてそんな信仰生活に生きることができるのでしょうか。主の前に低くなる。そのことを通して、「完全な道を歩く」者、「正しいことを行う」者、「真実の言葉を語る」者としていただくことができるのです。

さらに言うなら、わたしのために低くなって下さった主。人となり、しかも、十字架の死に至るまで、仕える者となって下さった主。それだけではなく、信じる者の内に、宿る者となって下さったこの主にあって、わたしたちは、ほんとうの意味で、自らを低くすることができるのです。そして、「完全な道を歩く」者、「正しいことを行う」者、「真実の言葉を語る」者としていただくことができるのです。

(前川隆一牧師)