イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。 マタイ14章18節
「五千人に食べ物を与える」と表題のつけられているところです。
天を仰ぐ
初代教会のクリスチャンたちは、このできごとの何に励ましを受けたのでしょうか。第一に、イエス様が、天を仰がれた、そのお姿に励ましを受けました(18)。少しずつ、暗い影が差し始めている、そのような状況の中、イエス様は天を仰がれました。そして、父なる神様に、賛美の祈りをなさいました。初代のクリスチャンたち、彼らは、試練の中にいました。戦いの中にいました。その中で、自分たちも、イエス様にならい、天を仰ぐことができる。まず、賛美の祈りを唱えることができる。それが、初代のクリスチャンたちが受けた第一の慰めでした。
五つのパンと二匹の魚
第二に、イエス様は、五つのパンと二匹の魚というようなみすぼらしいものをお用いになったということ、さらに言うなら、五つのパンと二匹に等しいような小さく、みすぼらしい弟子たちをお用いになったということに慰めを受けました。初代のクリスチャンたち、彼らは、自分たちを飲み込もうとする巨大な世の権力の前に、いかに自分たちが小さな存在であるか。みすぼらしい存在であるかを自覚していました。けれども、その自分たちを主はお用いになる。そう信じて、喜んで、自らを献げて行ったのでした。
養い
第三のこと。それは、二匹の魚と五つのパンで、人々の命を養われたイエス様の奇跡のできごとを通して、自分たちもまた、イエス様によって、日々命を養われているということを思い起こしたのでした(ヨハネによる福音書6章47~51節)。イエス様が、荒れ野で、パンを裂いて、人々を養われたように、自らの肉を裂いて、命をお与えになった。それが、十字架のできごとでした。そして、そのキリストの救いに、命に、具体的に与る。それが、聖餐のときです。初代のクリスチャンたちは、二匹の魚と五つのパンで、人々の命を養われたイエス様の奇跡のできごとを通して、自分たちもまた、聖餐によって、命を養われている存在であるということを思い起こしたのでした。
(前川隆一牧師)