「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」
マタイ13章44節
イエス様による一連の「天国」のたとえです。
天国
第一に、イエス様は天国について、どのようなことを教えておられるのでしょうか。「からし種」のたとえ、「パン種」のたとえと、「網引き」のたとえとでは、対照的なことが語られています。「からし種」のたとえと「パン種」のたとえは、天国の驚くべき生命力ということが語られています。それに対して、「網引き」のたとえは、天国の前提としての裁きということが語られています。
知識
第二に、イエス様は、その天国に対する正しい知識をもつ人になってほしいと願っておられます。実は、今日の箇所の続きに、こんなことが言われています。マタイ13章51~52節です。「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。弟子たちは、『分かりました』と言った。そこで、イエスは言われた。『だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。』」「一家の主人」ということが言われています。これは、聖書で見ると、「マスター」ということばです。自由に知識を出し入れすることができる天国の知恵をもつ人になってほしい。そう願っておられるということです。
たとえの中心
では、第三に、わたしたちが求めるべき知恵、天国の知恵とは、どんなものなのでしょうか。実は、一連の天国のたとえの中心となるたとえがあります。それは、44節からの「畑に隠された宝」のたとえです。天国、それは、隠された宝です。その隠された宝の中に、驚くべき生命力があるのです。その隠された宝の中に、裁きの基準ということが示されているのです。では、わたしたちは、その隠された宝を、どのように見出だして行くことができるのでしょうか。それは、人間的には愚かと思える十字架のできごと、神がその独り子を十字架で死なせるというできごとの中に、神の真実を見て行くようにと、わたしたちは召されているのです(コリント第一、2章14節)。
(前川隆一牧師)