マタイ5:13~20

【天の国】マタイ5章は、山上の説教と呼ばれるもので、イエスの公生涯の中心である「天の国」「神の国」の本質を語り、来るべき神の国の模型を示したものである。また「天の国」は未来に私たちが向かう場所ではなく、今私たちの生活に迫る神の支配、神の統治が及ぶところである。私たちの人生の歩みの中で、神様が私の最終決定者、権限者として生きておられるか瞬間瞬間思い起こす必要がある。

【立派な行い。善い行い】イエスが天の国を語る中で、光として塩として善い行いを行うようにと書いているが、この善いとはどのような意味なのか。善いの意味で使われるギリシャ語の「カロス」は、ヨハネ10:11に良い羊飼い、フィリピ1:6に善い業が使われている。善い行いとは、世の中で言う倫理的、道徳的な意味ではなく、イエスキリストが行う行為、つまり十字架にかかられ命を捨てる「従順さ」、死の直前に父に命を委ねる「謙虚さ」、十字架の死による「自己否定」に現れる。ここから教会の誕生という新しい創造が起こり、福音の拡散の善い業になった。このようにイエスの生き方に倣ったクリスチャンでしか、まねできない宣教的生き方こそが「世の光」「地の塩」であり、そのことによって天の父をあがめるようになる。神の国を来らせる善い証し人として、また教会として歩みたいと願う。

 (朴鍾祐 長老)