ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の子犬も、子供のパン屑はいただきます。」                    マルコ7章28節

 
ティルスの地方に赴かれたとき、イエス様が一人のギリシャ人の女性の願いを聞いて、彼女の娘をおいやしになったできごとです。

率直さ
わたしたちは、イエス様の御名によって父なる神様と対話する特権に与っていますが、その対話の一つの模範、それが今日の箇所です。父なる神様と対話をするとき、たいせつにすべきルールその第一は、率直さということです。この女性は率直に、イエス様に自分の願いを訴えて行きました(25~26)。

聞く耳
とともに彼女が身につけていた、それは第二に、聞く耳ということでした。彼女は、自分の娘がいやされるようにと熱心に願いました。でも、彼女は、決してイエス様を脅すようなことはしませんでした。自分の願いだけを言って、相手の言うことに耳を傾けないというような女性ではありませんでした。イエス様とこの女性との間に会話が成り立っている。対話が成り立っている。そこに、彼女が心に余裕をもっていたということが分かります。

本質を見抜く力
ギリシャ人の女性、彼女は、聞く耳を持っていました。でもそれは、だらだらとただ聞くだけということではありませんでした。彼女は、イエス様の語られることばの奥にあるこころを読み取る目を、聴き取る耳を持っていました。それが第三のことがらです。彼女は、本質を見抜く目を、本質を聴き分ける耳を持っていました(28)。ギリシャ人の女性がそのような資質を身につけた、それは、イエス様を見つめることを通して、身につけた資質でした。わたしたちは、このギリシャ人の女性よりもっとはっきりとイエス様が愛なるお方であることを見上げることができます。イエス様を見上げることを通して、わたしたちも、率直に神様に祈る者、神様の御声に聞く耳を持つ者、心の耳を持って神様のみこころを聞き分ける者とならせていただきたいと思います。

(前川隆一牧師)