ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。
エフェソ4章13節
キリストのからだは、どんな素材で建て上げられるのか、その目標は何であるのか、どのようにして建て上げられて行くのか、ということが教えられています。
素材
7節で、「しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています」と言われています。神様は、顔かたちにおいて、性格において、考え方において、そして、賜物において、非常に多様な人々を召し集めて、教会を建て上げて行かれるということです。そして、神が召し集められたという限り、一人一人が必要とされている、それが、教会であるということです。
目標
では、キリストのからだなる教会が建て上げて行くというとき、その目標何なのでしょうか。13節で、「ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」と言われています。「一つとなる」、それは、クリスチャンになったら、みんな同じ顔になり、同じようにしゃべり、同じように歩くようになるということではありません。一つのからだとなって目標に向かって進む、それが、ここで、「一つなる」と言われていることの意味しているところです。
みことばによって
11節で、「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです」と言われています。その他の奉仕をする信徒は、ここに記されている人々より価値が低かったのでしょうか。そんなことはありません。ここで語られているリスト、それは、みことばを語る人のリストということです。つまり、ここで強調されていること、それは、すべての奉仕、それは、聖霊によるのであり、みことばによるということです。わたしたちは、みことばにより、聖霊により、新たに造り直していただいて、奉仕へと遣わされて行くのです。そして、そのことを経験する、それが、礼拝のときなのです。
(前川隆一牧師)