わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。
ヨハネ10章27節
神殿奉献記念祭が行われていたときのこと、ユダヤ人たちが、イエス様に対して、「いつまで、わたしたちに気をもませるのか」と問い詰め場面です。
聴くべき声を選ぶ
ユダヤ人たちは、自分の中に、ある前提があり、そのことが邪魔をして、ほんとうにたいせつなメッセージを聴き損なってしまいました。わたしたちも、ほんとうにたいせつなことをたいせつなこととして聴き取って行くために、何に耳を傾けるのか。聴くべき声を選んで行くということがたいせつです。
主の声に聴く
そして第二に、主の声、イエス様の声に聴くということがたいせつです。それは、主の声に聴くことを通して、わたしたちは、心をやわらかくしていただくことができるからです。しなやかさを回復していただくことができるからです。心の自由を回復していただくことができるからです。それは、主の声、イエス様がわたしたちに語って下さる声が、わたしたちに代わって、父なる神様のみこころに歩み通して下さった方の声であるからです。父なる神様のみこころに歩み通し、十字架で死に、復活された方の声であるからです。
聴いて従う
第三に、ほんとうにたいせつなことをたいせつなこととして聴き取って行くために、わたしたちは、主の声、イエス様の声に聴くということとともに、聴き従うということがたいせつです。今日読まれたヨハネ10章27節で、「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。」そう言われています。主の声、イエス様の声に聴くということとともに、聴き従うということがたいせつです。ダビデも人の子、傷ついた道を通ることもありました。でも、そこからまた、ダビデも、主の声に聴き従うことを通して、確かに主は正しい道に導いて下さるということ経験し、神様に対する信頼を深め、さらに、主の声に聴き、従って行きました。わたしたちも、主の声、イエス様の声に聴くということとともに、聴き従うということがたいせつです。主の声に聴き、主の声に従う。そのことを積み重ねて行く一週間と主に導いていただきましょう。
(前川隆一牧師)