あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。                   マタイ5章13節

 
「地の塩として生きる」「世の光として生きる」。では、どのようにして具体的にそのように生きることができるのでしょうか。

おそれ
今日の使徒書、コリント信徒への手紙一、1章3節には、「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」と記されています。パウロは、恐れに取りつかれていた、と言っています。パウロは、何に恐れていたのでしょうか。パウロは、神様から使命を与えられていました。その使命に比べて、自分がなんと小さい者であるかということをパウロは絶えず自覚していました。自分は、神様の期待に応えることができるのだろうか。それこそが、パウロの恐れであり、おののきでした。けれども、実は、ここに、パウロが生涯を通して、神様に愛され、祝福され、用いられた秘訣がありました。

神に対するおそれ
旧約聖書のアサという王様が登場して来ます。アサ王は、ある預言者が、「あなたの信仰はすばらしい。その信仰的な立場を一歩も退かないように。そこに立ち続けて下さい」と励ましたすばらしい王でした。けれども、晩年、自分の知恵により頼み、神様から遠ざかってしまいます。パウロは、「昨日の成功が今日の成功を保証するものではない」ということを知っていました。ですから、今日もまた、へりくだって神様の前に出、「神様、今日生きるための力と知恵をお与え下さい」と祈る、それが、パウロの生き方でした。

一人に向かう
パウロは、神様に対しては、おそれを持っていました。では、人に対して、どのような思いを持っていたのでしょうか(コリント信徒への手紙一、9章21~22節。「何人かでも救うためです」、パウロは、一人の人に向かい合って行きました。一人に向かい合う。目の前のことに忠実に歩む。それこそ、わたしたちがよりよく「地の塩として生きる」「世の光として生きる」秘訣なのです。

(前川隆一牧師)