「霊による命」と表題のつけられている部分です。
キリストに結ばれている者
わたしたち人間のわざに注目させ、集中させる、それが、サタン、悪魔の手口です。そのようなサタンの手口に惑わされてしまうわたしたちに対して、聖書は、「キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません」、そう宣言するのです(1)。キリストに結ばれている者、あるいは、キリストの内にある者、そういう表現が使われています。キリストの名によって洗礼を受けた者、それは、キリストに結ばれたものであり、キリストの内にある者であるのです。
キリストの犠牲
第二のことは、そのために、神様がどのようなことをして下さったかということです(3)。聖なる神様は、罪あるわたしたちをそのまま受け入れることはできません。でも、同時に、神様は愛なるお方ですから、何とかしてわたしたちを救おうとなさいました。そこで、なさったことは、罪のない神の独り子キリストを人間としてこの地上に送り、わたしたちの身代わりとして十字架で裁くことを通して、わたしたちが救われる道を開こうとなさいました。
霊の支配下に生きる者
第三に覚えたいこと、それは、わたしたちが霊をもつ者、聖霊をもつ者とされているということです(9)。霊を持つ者。それとともに、ここで言われているのは、「霊の支配下」ということです。キリストの内にある者、それは、霊を持つ者、聖霊を持つ者、そして、肉の支配下ではなく、霊の支配下、新しい霊の法則に生きるようにされた者であるということがここで言われているということです。ツン牧師は、「自分のいのちを救うために、あらゆる綱にしがみついていたときには、わたしは崖っぷちに立っていました。しかし、綱を掴む手をゆるめ、このいのちをまったくキリストの御手にゆだねたとき、自由になりました」と言われました。まさに、霊の法則に生かされて語ることのできたことばのあかしです。
(前川隆一牧師)