わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたに伝えるのは、あなたがたもわたしたちと交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。              Ⅰヨハネ1章3節

「交わりの手紙」「愛の手紙」と呼ばれるヨハネの第一の手紙の冒頭部分です。

交わりの手紙
ヨハネの手紙、それは、「交わりの手紙」との呼ばれる手紙です。「交わり」ということばのもとになることば、それは、「コイノニア」ということばです。この「コイノニア」ということばが、動詞になると、「コイノオー」となります。その意味は、言うまでもなく、「交わる」「交わりをする」という意味と、もう一つ、「知らせる」という意味も持っています。共通の知識をもっている。共通のことばを持っている。それは、わたしたちの交わりの基礎です。では、わたしたちクリスチャンの交わりの基礎となる共通のことば、共通の知識、それは、いったい何でしょうか。

愛の手紙
ヨハネの手紙、それはまた、「愛の手紙」と呼ばれる手紙です。キリスト信仰、それを、宗教と呼ぶなら、それは、「愛の宗教」「交わりの宗教」ということができます。けれども、わたしたちが往々にして経験する、それは、「愛につまずく」「交わりにつまずく」ということではないでしょうか。であるとするなら、わたしたちは、この「愛」ということに、また、「交わり」ということに何を求めて行くべきなのでしょうか。


「愛」ということ、「交わり」ということ、それに加えて、今日もう一つ心に留めたいことば、それは、「光」ということばです。信仰をもって歩む、それは、「光の中を歩む」ことです。けれども、光の中を歩めば歩むほど、自分の罪深さを深く、より深く知らされて行く歩み、それが、信仰の歩みであるのです(7~8)。ということで、罪の告白ということが言われているということです(1:9、2:1~2)。罪の赦しを受けるということ、それが、わたしたちの「愛に生きる」ということ、また「交わりに生きる」ということの「肝」であるということです。

(前川隆一牧師)