もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。 ヨハネ15章15節
イエス様が、弟子たちに、そして、わたしたちに、「わたしは、あなたがたの友である」とおっしゃっておられる箇所です。
友と呼ぶ
イエス様が友となって下さるというとき、わたしたちは、二つの反応を経験するのではないでしょうか。第一に、すなおにうれしいという反応。もう一方において、おそれ多いという反応です。実は、ペトロもそうでした。ペトロは、イエス様との出会いにおいて、恐れを経験しました。けれども、その時点では、それを棚上げにして、ペトロは、喜んでイエス様に従ったのでした。第一に、ペトロは、イエス様が友となって下さる経験をしました。
使命
第二に、ペトロは、そのイエス様から、使命を与えられました(16)。それは、一言で言うなら、イエス様が友となって下さったように、友なき者の友となるという使命でした。そして、そのことが成就した、それが、今日の使徒言行録の箇所と言うことができます。ペトロが、友なき者、福音に対して何の接点もなかった異邦人の友となり、彼らに、福音を語り、洗礼を施した。それが、今日読まれた使徒言行録です。考えてみれば、このことが実現するまでに、ずいぶん時間がかかったということができます。わたしたちも、殻を一枚一枚と破っていただいて、イエス様が友となって下さったように、友なき者の友となるようにと召されています。
土台
第三に、では、ペトロは、どのようにして、そのようなイエス様の使命へと歩み出すことができたのでしょうか。いつ、ペトロは、イエス様の使命に、具体的に歩み出すことができたのでしょうか。それは、イエス様が、十字架で死に、復活された後のことでした。わたしたちも、イエス様が友となって下さったように、友なき者の友となるようにと召されています。それは、イエス・キリストの十字架と復活、そしてそれを信じる信仰によって、そのように生きることができるのです。
(前川隆一牧師)