主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。

ルカ7章13節

 
イエス様がナインという町で、一人息子を亡くした母親を憐れに思い、その一人息子を生き返らせて、お返しになったできごとです。

一方的なできごと
今日のできごと、それは第一に、一方的にイエス様が起こされた奇跡のできごとでした。今日の箇所の前にどのようなできごとが記されていたかというと、イエス様が百人隊長の僕をいやされたできごとでした。百人隊長の僕のいやしが、百人隊長の信仰に応えるようにしてイエス様がなさったいやしのできごとであるのに対して、今日の箇所では、母親にせよ、付き添っている村人にせよ、だれも信仰をもってお願いしたとか、祈ったとか、そのようなことが記されていないのです。一方的にイエス様が起こされた奇跡のできごとでした。

憐れみから出たできごと
第二に、その一方的なイエス様の働きかけを促したものは何であったのでしょうか。それは、13節、「主はこの母親を見て、憐れに思い」ということが記されています。憐れに思い」、それは、「内臓をわしづかみにされて」とも訳せる、そんな表現です。そのような腹の底からつきうごかされるよう思いを抱いて、一方的にイエス様が事態の解決に乗り出されたできごと、それが、今日のできごとでした。

主なるイエス・キリストのかえりみのできごと
第三に、ルカは、このできごとをどのようなできごとと見ていたのでしょうか。人々は、このできごとを見て、「大預言者がわれわれの間に現れた」と言いました。けれども、ルカは、「大預言者」ということで満足しませんでした。13節、「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた」、そう記されています。ルカは、イエス様のことを「主」と呼びました。ルカは、イエス様は「大預言者」に留まらない。「主」なるお方である。わたしたちの罪の解決のために十字架で死に、復活して、赦しと命をお与え下さる「主」なるお方であるということを、ここで強調しようとしているということです。

(前川隆一牧師)