はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。                 マルコ10章15節
 

イエス様が離婚ということについて教えておられる部分(1~12)、そして、イエス様が子どもたちを祝福された場面(13~16)です。

原点に立ち返る
まず、最初の部分です。ファリサイ派の人がやって来て、イエス様に「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と質問したところから、物語は始まっています。ファリサイ派の人たちは、離婚ということを質問しましたが、イエス様は、そもそも結婚とは何かという原点に立ち返って、ファリサイ派の人たちにお答えになりました。結婚ということに限らず、さまざまな人間関係、それ以外のことにおいても、「そもそも自分は何のためにこのことをしているんだろうか」と立ち止まって考えてみるということは有益です。「そもそも自分は何のためにこのことをしているんだろうか」と立ち止まる、神様のみこころはどこにあるのだろうと考える、原点に立ち返る、実は、それこそが信仰生活の祝福の秘訣なのです。

十字架を見上げる
イエス様の結婚についての教えに対して、弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えないほうがましです」と言いました(マタイ19章10節)。「そもそも自分は何のためにこのことをしているんだろうか」と立ち止まる、原点に立ち返る、それこそが信仰生活の祝福の秘訣であると学びました。そして、第二に、日常生活の中で、十字架を見上げていく、それが信仰生活の第二の祝福の秘訣なのです。今日の箇所から、まず、離婚と結婚の教え、子どもに対する対応、そして、お金の使い方と、非常に日常的なことがらが語られ、イエス様の死と復活の予告へとつながって行っています。それは逆に、結婚、子ども、お金、そういった非常に日常的なことがらの中で十字架を見上げて行く、そこに信仰生活の祝福があるということを教えているのです。そして、それは、幼子のような信頼をもって十字架の救いを受け入れるというところから始まっていくのです(15)。

(前川隆一牧師)