あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。 エフェソ5章8節
今日の福音書と使徒書、その全体としてのメッセージ、それは、「闇から光へ」というメッセージであるということができます。
闇
今日の福音書に登場して来る宗教的指導者たち、彼らは、命の主である神ではなく、神の教えを神としていました。神の教えを言わば、偶像としていました。命のないものを神とする。偶像とする。そこに、闇の本質があります。また、宗教的指導者たちが問題にした、それは、安息日に癒しが行われたということでした。宗教的指導者たちは、命の主なる神様ではなく、神様の教えを神としてしまった結果、彼らが神としている神の教えに照らして、人を裁くということをしてしまった、ということです。第二に、手段が目的となってしまう、そこに、闇の本質があります。さらに、今日の福音書の箇所で、おもしろいのは、この目がいやされた男性の両親の対応ということです。真理を知ることができないときに、わたしたちは、人を恐れるのです。第三に、人に対する恐れ、そこに、闇の本質があるのです。
光
そのような闇の現実の中にあって、わたしたちは、光の子として歩むようにと神様から招かれています。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい」(8)。今日の使徒書を通して、三つのことに心を留めたいと思います。第一に、「光の子として歩む」、そのために、「時の感覚を持つ」ということがたいせつであるということです(16)。第二に、「光の子として歩む」、それは、主を賛美する歩みであるということです(19)。そして、第三に、「光の子として歩む」、それは、「仕える」歩みであるということです(21)。「時の感覚を持つ」、「主を賛美する」、「仕える」、そのような光の子としての生き方を回復させていただく、礼拝こそ、そのときなのです。
(前川隆一牧師)