何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。 マタイによる福音書6章33-34節a
今日の福音書の箇所は、イエス様が語られた山上の説教の一部です。
思い悩むな
イエス様が今日の箇所で三度「思い悩むな」と命令されているのは、思い悩みやすい私たちへのメッセージで、その理由もわかりやすく語られています。イエス様は、自分自身の思い煩いから目を離して、神様の御手のわざに目を留め、思い巡らし、理解するようにと語られました。神様に似せて造られた私たち人間を愛しておられる神様は、空の鳥や野の花にもまして、どれほど私たちの必要を心にかけておられるでしょう。人に命を、しかも永遠の命を与えてくださる神様は、この世界でも良い物を欠かさず備えてくださいます。
何を自分の宝としているか
思い煩いが増えるほど神様への信頼は薄まります。すべての物は人々の手を通して神様が与えてくださるものです。まことの神様に何も良い物を期待しないなら、今自分の心をつなぎ、信頼を寄せている宝(神)が他にあるのです。自分の持ち物や能力だけに目を留めると、人と比較して不安が起こります。「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(24節)。人はどちらかを優先し、頼りにするものです。貪欲は神より富を優先させる原因となり、世の思い煩いや富の誘惑は、人が聞いた御言葉を覆って神様から遠ざけます。
思い煩いを神にゆだねて祈る
思い悩む代わりに、私たちの重荷を全て神様にお任せし(Ⅰペトロ5:7)、何事も感謝して祈りと願いを神様に打ち明けましょう(フィリピ4:6)。度々の苦難を神様に守られたパウロのように、神様の御翼の下に身を避ける人は重荷を下ろすことができ、心に感謝と人知を超える平安が生まれます。まず神の国と神の義、すなわち神様のみ心を祈り求めるなら、神様は私たちの必要も細やかに配慮され、私たちの願いを超えて最善に導かれます。私たちを罪から救うために、御子イエス様を惜しまず十字架の死に渡された神様は、御子と一緒に全てのものを与え(ローマ8:32)、平和と喜びが満ちる神の国を私たちに受け継がせられます。明日をご存知で、変わることなく真実な神様に日々信頼して歩みましょう。
(松田朋子神学生)